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持ち出し禁止
大きな利益を生むものは独占したい・・・・。大昔から現在までこの気持ちは何処でも変わらない。16、17世紀、コーヒーの需要が増えると、アラビアにとってコーヒーは大事な輸出品となる。その利益を守るため、アラビアは生豆の輸出をきびしく禁止。熱湯かけて発芽力を殺した豆しか輸出を許さなかった。日本でも昔から特産物の藩外持ち出しがご法度だったように。でも、どんなガードも必ず破れる。17世紀オランダがひそかに持ち出し、アラビアコーヒーの独占は崩れた。
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強制栽培
逆に1830年、当時インドネシアを支配していたオランダは、「強制栽培制度」を実施。ジャワ島の住民に対し、稲などの食用作物の作付けを禁止し、コーヒー、サトウキビなど、欧州への輸出で利益の上がる作物だけの栽培を強制した。このため、ある時期、多数の餓死者を出し一時軽減されたのの、第二次太平洋戦争前までこの悪法は続いていた。1773年、ボストンで茶の独占販売権を持つ東インド会社の茶箱を海中に投じた「ボストン茶会事件」は、イギリス植民地からのアメリカ独立のきっかけとなった。それほどではないにしろ、コーヒーも政治とは無関係ではなかった。
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